ひとつの応答ーペ・ポンギさんと数えきれない女たちー

One Response - for Bae Bong-gi and Countless Other Women

2011.1
撮影:角張康治 《ひとつの応答—ペポンギさんと数えきれない女たちを行為する in 沖縄》南風原文化センター
Photo by Kadobari Kouji / "Acts One Response-for Bae Bong-gi and Countless Other Women in Okinawa", Cultural Center Haebaru, 2011

川田文子さんが書かれた『赤瓦の家』とプリントアウトした情 報、地図、バスの路線図、そしてカメラ2台を携えた。目的は佐敷、渡嘉敷島、嘉手納基地、コザの街へ行くこと。旅に出る1ヶ前の 4月に金沢21世紀美術館「愛についての100の物語」展のオープニングで思いがけない出会いをした。照屋勇賢さんのお母さん、照屋久子さんだ。ペ・ポンギさんが住んでいた佐敷というところに行きたいと思っていること、なぜわたしがそこに行きたいかという話を騒がしいパーティ会場で声を張り上げて話した。すると、照屋久子さんは「慰安所」の調査に関わったとのことで、わたしたちはすっかり意気投合してしまった。そして、久子さんは「佐敷なら連れて行ってあげる。行ったことがあるから。」と約束してくださった。ポンギさんが佐敷にいたことを知っている人は多くないだろうに、なんという巡り合わせだろう。

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ひとつの応答

One Response

2009.1
撮影:ウェン・ヤオ 《ひとつの応答》  
Photo by  Wen Yau /  "One Response", 2009

佐喜真美術館を目指して乗ったバスから見たものは米軍基地が連なる光景だった。その衝撃は実際にその場に立たなければわからない。見ないことは犯罪にも値すると思った。沖縄から帰るとすぐに米軍基地の面積を東京都の地図の上に置いていくパフォーマンスをした。そして、7cmの釘が一杯入っている釘箱を振って、床にバラバラとまき散らし、釘を磁石でもてあそぶパフォーマンスもした。米軍基地のことを読み、調べていくうちに、インターネットで米兵による性犯罪リストが目に止まった。「基地と軍隊を許さない行動する女たちの会」が作成したものだとすぐにわかった。早速、会に手紙を書き、使用許可を申し出た。軍事下の性暴力のことをパフォーマンスでやってきたのだから、沖縄の米軍基地にこの視点から取り組もう。1945年から始まるリストに書かれた犯罪の内容は、凄惨で気分が悪くなるものだった。多くの女性たちの尊厳が奪われ、沈黙を余儀なくさせられている。「慰安婦」のおばあさんたちと同じ痛み、悲しみだと思った。

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Rubber Tit

2006.9
撮影: Guy L’tteureux 《Rubber Tit》Viva! Action
Photo by Guy L’tteureux / "Rubber Tit" Viva! Action, 2006

わたしは《Rubber Tit》というパフォーマンスをした。高さ2.5mのゴム製のオッパイがプールの中で跳ねまわったのに触発された10代の男子たちが、ダイブして、大きな破裂音とともに一瞬のうちに割ってしまった。パフォーマンスが終わった後だったから許してやったが。その後修理したゴムオッパイはあちこちに出没してゆく。LGBTパレード、東京都知事選の街頭行動などなどへ。

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あなたをわすれない

I will not forget you

2005.11
撮影:アンナ シヅェンスカ《あなた を忘れない》in クラコフ
Photos by Anna Syczenska "I will not forget you" in Krakow, 2005

このフェスティバルはポーランドのピョートルクフ・トルィブナルスキという街で行なわれ、またその関連イベントとしてクラコフでも開催された。初めてのポーランドだ。《あなたを忘れない》という日本の軍隊が組織した性奴隷についてのパフォーマンスを、ポーランドの人々はどのように見てくれるだろうか。歴史を共有していないポーランドの観客に少しでも糸口を知ってもらおうと、短い英文を急遽つくって、入り口に貼った。日本軍「慰安婦」の金順徳さんが亡くなって、オマージュとして創ったパフォーマンスだ。かつて順徳さんがわたしのパフォーマンスを見て感想を述べてくれた時にも行なった、身体のパーツをふくらませる行為、順徳さんと姜徳景さんがそのつらい体験を描いた絵を背景に玉ねぎの皮を剥きつづける行為、そして「失礼な握手」を観客とする行為によって成り立つパフォーマンスだ。「失礼な握手」とは、普通に握手をしたのに、一方的に力を抜かれてしまう握手だ。これは、順徳さんとわたしたちの和解の握手ではない。わたしが慰安婦の方々が何度も何度も味わったであろうと想像することを、握手という行為に託した。期待しても期待しても尊厳を回復させて貰えない彼女たちの無念さを想像して、自分に投影してみようとする行為なのだ。握手をした人たちは皮膚を通して、無視される感覚を味わう。

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虹色の人々

People in Rainbow Colors

2004.2
撮影:芝田文乃 《虹色の人々》シアターX 
Photos by Shibata Ayano / "People in Rainbow Colors?" Theater X, 2004. 8. 16

このパフォーマンスはセクシュアリティを扱った四作目のシリーズだ。《自画像》《わたしを生きること》《恐れはどこにある》のシリーズを毎回少しずつ変化させながらセクシュアルマイノリティであることについて表現してきた。日本社会の中で他のマイノリティの人たちはどのように生きているのだろうか。韓国に度々訪問するようになって歴史に目を向けだしたわたしは、在日の人々のことを知りたいと思うようになっていた。この頃すでに「ちゃめ」がPA/F SPACEをつかいはじめたために、一気に在日の女性たちと親しくなっていった。それにつれて、彼女たちが抱えた問題もわたしに届くようになっていった。植民地時代に創氏改名させられた朝鮮人は戦後も日本で生きてゆくためには、日本語の名前を使わなければ、生きにくい現実を背負わされているという現実と、匿名で呼び合うセクシュアルマイノリティが本名が知れたときに起きる問題を抱えている現実が重なり合う。異なる位相なのに一緒にするとはと違和感を持つ人もいるかもしれない。しかし、当事者の生きにくさ、差別されることの痛みを想像してほしい。虹色レインボーはセクシュアルマイノリティのシンボルだ。「人は多様でいいでしょ」という意味が込められている。このパフォーマンスは、関係者に名前のことでぶち当る問題が実社会で起きたため、続けることをやめた。

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恐れはどこにある

Where is the fear?

2001.1
撮影:芝田文乃《恐れはどこにある》ディプラッツ  
Photo by Shibata Ayano  / "Where is the Fear?" at Die Pratze, 2001

セクシュアルマイノリティをテーマにしたシリーズの三作目のパフォーマンスで、「越境する女たち21」展で初めて行なった作品だ。

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わたしを生きること

Me Being me

1998.11
撮影:松本路子《わたしを生きること》「ラヴズ・ボディ—ヌード写真の近現代」展
Photo by Matsumoto Michiko / "Me Being Me" Love's Body—Rethinking Naked and Nude  in Photography (exhibition), 1998

1991年に笠原美智子さんがキューレートした「私という未知へ向かってー現代女性セルフポートレート」展と「アメリカン・ドキュメンツ 社会の周縁から」展を続けて見たわたしは、自分の事を語る表現というものが存在し、しかもそれが肯定的に扱われてしかるべきだという意思を見せてもらった。「ジェンダー」という言葉が登場したばかりで、わたしも、今までのモヤモヤが解消され、これを指標に生きていける!という確信に力がみなぎらせていた、そんな時だった。とりわけ社会の周縁にいる女性アーティストたちが溢れるばかりに自分を表象する姿に共感した。

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自画像

Self-portrait

1996.1
撮影:芝田文乃 《自画像》第三回日本国際パフォーマンスフェスティバルNIPAF
Photos by Shibata Ayano / "Self-portrait"  
The 3rd Nippon International Performance Festival (NIPAF), 1996

1996年はわたしのエポックイヤー。1月にジョニー・ウォーカーさんの誘いで青山のクラブスペースで行なったパフォーマンスの中で、セクシュアリティのカミングアウトをした。カミングアウトしたくて、機が熟して、高まりを押さえられなかったというのが本心だった。自己肯定出来た喜び。そして、パフォーマンスアートをやっているのに、肝心なセクシュアリティのところだけすっぽかしているのはアーティストとして良くない、許されないとも思っていたから。

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ディスタント スキンシップ

Distant Skinship

1995.5
撮影:西村燎子《ディスタントスキンシップ》国立にて
Photo by Nishimura Ryoko / "Distant  Skinship"  in Kunitachi 1995. 5. 12

思っ立ったが吉日、ウィメンズアートネットワークWomen’s Art Net Work(WAN)とまずは命名し、さっそく企画を立てたのだった。4組の女性によるパフォーマンスのイベント「ディスタントスキンシップ」だ。当時女性でパフォーマンスをやっている人はほとんど居なかった中、小林テレサさんに出会い、カナダ・ウニペッグのショウナ・デンプシーとローリー・ミランから「日本に行きたい」という葉書が舞い込み、演劇だけどはっきりと女性の視点で作品をつくっていた「リリスの足」が参加すると言ってくれて、「女性によるアート」と銘打つプロジェクトが始まった。afaはなくなっていたけれど、そこで知り合った山上千恵子さん、安藤能子さんが手伝ってくれた。パフォーマンスではたくさんのリカちゃん人形をゴムのタンクトップのなかに詰め込み、「ジャンプ」をすることによってバラバラと振り落とすアクションが続いた。ステレオタイプな女を表象する物を取り入れたパフォーマンス、わたしにとってかなりのジャンプに違いなかった。

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